その明るく、ハキハキとした姿に癒されたという人もいるのではないでしょうか。
ここでは、人気アナウンサーの気になる学生時代を調査してみました。
出身地は?これまでの学歴は?大学時代、ボランティア活動をしていたというのは本当なのか確かめてみましょう。
目次
佐藤ちひろの出身地は福島県南相馬市で被災者?
1年を通して寒暖差が少なく、豊かな自然と福島県といえば、東日本大震災による原発事故が記憶に新しいという人もいるでしょう。避難を余儀なくされる住民もいて、改めて自然の脅威を考えさせられました。
佐藤ちひろさんは、両親と兄の4人家族で暮らしていたそうですが、被害はそれほどひどくはなかったようです。
佐藤ちひろの小学校は?福島市立杉妻小学校?
1873年に前身となる小学校が設立され、以来、福島県の子供達をずっと見守ってきました。
小学校時代の佐藤ちひろさんについては、詳しい情報がないためわかりませんでした。
ですが、画面で観る佐藤ちひろさんは素朴で明るい印象が強いです。その事から、おそらく小学校時代の佐藤ちひろさんも明るく活発だったのではないでしょうか。
小学生の頃はアナウンサーを考えていなかった?
佐藤ちひろさんは、小学生の頃にはまだアナウンサーになりたいとは考えてなかったようです。ですが、きっと将来に対して希望を抱いていた事でしょう。
この頃の佐藤ちひろさんが、どのような夢を持って日々を過ごしていたのか知りたいですよね。
佐藤ちひろの中学は南相馬市立石神中学校?海外ハンガリーに留学?
中学2年生の時にハンガリー留学をした?
調べたところ、佐藤ちひろさんは中学2年生の時にハンガリー留学を経験していました。
2011年3月11日。佐藤ちひろさんは、中学生になったばかりでした。福島第一原発から約20kmの辺りに家があり、避難準備区域に指定されました。
激しい揺れや原発の恐怖は、まだ幼かった佐藤ちひろさんにとってはとても怖い経験だったでしょう。
部屋に閉じ籠っていた佐藤ちひろさんを救ったのは、ハンガリーが震災に遭った子供達を短期留学生として招待していると知った事です。本来は、高校生だけを招待したものでしたが、特別に参加を許されたそうです。
現地ハンガリーのテレビ局の取材で東日本大震災の事を話した?
被災した時の状況などを質問され、佐藤ちひろさんは自身の経験から感じた不安や恐怖を話したそうです。
番組を観たという老婦人が訪ねてきて、励ましてもくれたそうです。そして、この事が佐藤ちひろさんをアナウンサーという世界へと導きました。実体験から、テレビの凄さを感じたのです。
念願だったアナウンサーになった佐藤ちひろさんは、多くの視聴者に寄り添いながらも、真実を正確に伝えるアナウンサーになっています。ハンガリーでの経験は、佐藤ちひろさんの人生を大きく変えるきっかけになったのかもしれませんね。
佐藤ちひろの高校時代は?
佐藤ちひろさんが、どのような高校生活を送ってきたかについては情報がありません。
ですが、令和元年になるまでは部活動への参加が必須だったようです。そのため、佐藤ちひろさんもなんらかの部活動に参加していた事が想定されます。
原町高等学校には、文化部から運動部まで多種多様な部活動があります。佐藤ちひろさんは、バラエティ番組「ロンドンハーツ」のスポーツテストでアシスタントを務めた事があります。
もしかすると、スポーツは好きな可能性がありますよね。ですが、中学生の頃からアナウンサーを目指していたのですから、文化部の可能性もあります。分からん・・。
高校時代、佐藤ちひろさんがどのような部活に入っていたのかとても興味がありますね。
佐藤ちひろの最終学歴は早稲田大学商学部?大学時代はボランティア?
出典:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/07/10/kiji/20210710s00041000275000c.html
とても頭がいいのは分かっていましたが、こうやって卒業した最終学歴が分かるとその頭の良さを再認識してしまいます。
ボランティア活動に励んだ?
震災で泥だらけになってしまった写真を綺麗にするというもので、かなり大変だったようです。ですが、後に写真を受け取る家族の姿をテレビで観た佐藤ちひろさんは、とても感動したようです。
また、タイの貧しい村にボランティアに行った時には、現地の人の生き生きとした姿に影響を受けたとか。
アナウンサーを目指そうと決めたのは、人々へ様々な情報を伝えるためだったそうです。震災やボランティアの経験は、佐藤ちひろさんを人間的に大きくしてくれたようですね。
大学時代にミスユニバース出場やCM出演?モデルも?
大学時代、佐藤ちひろさんはミスユニバース福島大会に出場したり、アプリのCMやMVに出演し注目を浴びました。
また、大学3年生の時にはWasedaCollection2018でモデルとしても活躍していました。
WasedaCollectionとは、早稲田大学のファッションショーで、生徒達からはワセコレと呼ばれ親しまれています。
きっと、キャンパス内でもその美しさは評判だった事でしょう。
まとめ
アナウンサーになる事をひたすら考えていた佐藤ちひろさん。
東日本大震災という大きな災害を経験し、原発の事故という恐怖と戦った学生時代。そして、ハンガリーに短期留学して得た貴重な経験。ボランティアに参加し、多くの人に笑顔で接してきた大学時代。
佐藤ちひろさんにとって、そのどれもがアナウンサーの仕事に影響を与えた事でしょう。
これからも、佐藤ちひろさんは様々な情報を分かりやすく伝えてくれる事でしょう。
コメント