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宮原知子の出身地は京都?アメリカ?小中学校や高校は立命館や関西?大学は休学?

宮原知子
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2018年の平昌オリンピックを始め、数々の大会で入賞を果たしてきた宮原知子さん。

彼女がどのような生い立ちなのか気になりますよね。

太郎
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そこで、宮原知子さんの出身地や学歴からその素顔を探ってみましょう。

宮原知子の出身地は京都?7歳までアメリカヒューストで育つ

家・自宅・実家

宮原知子さんは、1998年3月26日に京都府京都市中京区で誕生しました。

7歳までアメリカのヒューストンで育つ

ご両親が医師という事もあり、7歳までをアメリカのヒューストンで育った宮原知子さん。
スケートとの出会いは、なんと4歳の頃でした。ショッピングモールのスケートリンクで、その楽しさを感じたそうです。

5歳の時にはスケート教室に通い、その基礎をしっかり学んだ宮原知子さん。現在の宮原知子さんの活躍があるのは、このアメリカでの経験がかなり大きいのではないでしょうか。

京都の女性は、礼儀やマナーがしっかり身についていて気遣いもできます。おしとやかですが、自分の意見をしっかり持っています。

宮原知子さんは、普段は控えめでとっても物静かです。周囲の人達に対する気遣いにも定評があります。ですが、将来をしっかり見据えた努力を怠った事はありません。

 

太郎
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京都の女性の魅力を、宮原知子さんは全て兼ね添えているようです。スケーターとしても、女性としてもとっても魅力的ですよね。

宮原知子の小学校は立命館?

学校の教室風景

宮原知子さんは、立命館小学校に入学。


小学1年生の時から、濱田さんに師事しスケートの腕を磨いてきました。小学3年生の時には、既にダブルアクセルを身につけたそうです。

小学4年生までは、英会話スクールに通っていたという宮原知子さん。小学5年生にして、英検2級を取得したとか。

 

太郎
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小学6年生の時から、オリンピック出場を目指していた宮原知子さん。英語の取得に励んだのは、世界での活躍を視野に入れていたからかもしれません。

宮原知子の中学校は受験をして関西大学中等部へ

 

灰色の学校

小学校を卒業した宮原知子さんは、中学受験を受けて関西大学中等部に進学しました。

学力も優れていた宮原知子さん。外部の模擬試験では、学年上位に入ったそうです。

ジュニアグランプリシリーズで初入賞

2011年。13歳の宮原知子さんは、ジュニアグランプリシリーズで初入賞。その後も、四大陸選手権やシニアの国際大会へと出場。

太郎
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表彰台にものぼり、多くの人がその才能を認めました。中学校時代から、本格的なスケート人生が幕を開けたといってもいいでしょう。

宮原知子の高校は関西大学高等部?全日本選手権2連覇

高校

大阪府にある関西大学高等部に進学した宮原知子さん。

本田真凛さん、望結さん姉妹が卒業した事でも知られていますよね。スケートの強豪校としても知られているこの高校で、宮原知子さんは練習に励みました。

全日本選手権2連覇

その成果は、実力で証明されています。高校3年生の時には、全日本選手権2連覇という快挙を達成しています。

そして、GPファイナルでは銀。誰もが、将来のメダリストに期待をかけました。

海外遠征に行っても勉強に励み、外部模試では学年上位に入りました。頑張り屋の宮原知子さんは、何事にも手を抜かないのです。

高校卒業時の論文は「五輪の魔物」

高校卒業時の論文では、「五輪の魔物」を書き上げました。

昔から、オリンピックには魔物がいると言われています。なぜ、そのように言われるのか。その理由や対処法について興味を持ったようです。

太郎
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きっと、オリンピックについていつも考えていたのでしょうね。

宮原知子の大学は関西大学?休学して木下グループと嘱託契約?オリンピック出場!

宮原知子

出典:https://the-ans.jp/news/231661/

関西大学文学部に入学した宮原知子さん。

英文学を専攻したのは、英語のコミュニケーション能力をもっと高めるためだったそうです。本を読む事が好きだった宮原知子さんは、英米文学を選択しました。

大学休学・木下グループと嘱託契約

入学した翌年には平昌オリンピックを控えていたため大学は休学。木下グループと嘱託契約を結び、競技に集中しました。

しかし、左股関節の疲労骨折などもありその道はかなり険しかったようです。練習家であったが故の悲劇と言えます。コーチからは、5年後を目指してはとアドバイスされたそうです。

ですが、宮原知子さんは諦めてはいませんでした。どんなに辛くても、泣き言1つ言わず頑張ったそうです。そして臨んだ平昌オリンピックでは、個人戦4位、団体戦5位という結果を残しました。
メダルまであと一歩という快挙でした。

 

太郎
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大学では、アイススケート部に入部し更に修練を積んだ宮原知子さん。このアイススケート部は、高橋大輔さんや織田信成さんなど多くの名選手を育てたとして知られています。

まとめ

両親から勧められた事から、スケートを始めた宮原知子さん。怪我に悩まされながらも、その選手人生は実に華やかでした。2022年3月26日。公式ブログには、「Thankyou」の文字と共にスケート靴が置かれていました。
プロスケーターとして、新たなスケート人生を歩み始めた宮原知子さん。更なる活躍が期待できる事でしょう。

きっと、その華麗な動きで世界中の人々を魅了していく事でしょう。

宮原知子さんは、将来はスポーツ医を目指しているそうです。プロスケーターとして活躍しながらも、勉強への情熱は消えてはいませんでした。
プロスケーターであり、スポーツ医師という宮原知子さんが世界で活躍する日が楽しみです。

 

スポーツ選手
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この記事を書いた人
太郎

芸能人、有名人、映画ドラマ、テレビ、アニメなどが大好きな太郎です。
フリーライター業もしています。

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