ですが、普段はどんな人なのでしょう。
妻は誰なのでしょう?息子さんが風間俊介さんって本当でしょうか?若い頃はイケメンだったのか?どんな生い立ちだったのでしょう。気になったらキリがありません。
そこで、ここでは風間杜夫さんに関して気になることについて詳しく解説します。これまでの風間杜夫さんのイメージが変わるかもしれません。
目次
風間杜夫の妻は誰?ケースワーカーの訓子?大竹まことがきっかけ?
そして、お2人のキューピットとなったのは、劇団の仲間だった大竹まことさんでした。
訓子さんは、大竹まことさんが店長を務めていた喫茶店でアルバイトをしていました。そこで、風間杜夫さんと知り合ったのです。
そして、風間杜夫さんは訓子さんに深く感謝をしていることがあるそうです。
それは、結婚した翌年のことでした。風間杜夫さんのお父さんが、脳梗塞の影響で右半身が不自由になってしまった時のことです。風間杜夫さんと訓子さんは、困っているお母さんのことを考えて同居することにしました。
それから、12年という長い歳月。訓子さんは、風間杜夫さんのお母さんと協力して介護を続けてくれたそうです。
風間杜夫さんは、常に妻の支えに対して感謝の気持ちを述べていました。風間杜夫さんは、妻に支えられながら俳優業に専念していたのです。
風間杜夫の子供は?娘と息子がいる?娘は翻訳家?息子は編集者?
娘さんの住田未歩さんは翻訳家としても活躍し、2007年には「ドレスデン、運命の日」で作家デビューもしています。
息子さんの名前などは公表されていませんが、雑誌の編集者を務めているそうです。
風間杜夫の息子は風間俊介との噂は間違い?
確かに、風間という苗字はとても珍しいですよね。
ですが、2人は親子でも親戚でもありません。
風間俊介さんは本名で活躍されていますが、風間杜夫さんは芸名です。本名は住田知仁さんといいます。
風間杜夫の若い頃はイケメン?
風間杜夫さんといえば、元祖売れっ子子役と呼ばれ、8歳の頃から数多くのドラマや映画に出演されていました。
大学時代には演劇活動を始め、やがてそのイケメンぶりを発揮しました。
1982年に公開された映画「蒲田行進曲」では銀幕スターを演じ、1983年のドラマ「スチュワーデス物語」では、ヒロインが憧れる教官役として出演し、多くの女性が黄色い声をあげました。
そして、年齢を重ねてなお、風間杜夫さんのイケメンぶりは変わりません。風間杜夫さんがドラマや映画に出る度に、その渋い魅力に注目が集まります。
また、年齢を重ねてもかっこいい理由などについては別記事で紹介していますので興味があれば合わせてご覧ください。
風間杜夫の生い立ちは?8歳から劇団?子役で成功!「蒲田行進曲」でブレイク!
出典:映画.com
ちなみにお父さんは映画会社「新東宝」の営業課長をしていました。
ラジオの演劇番組を楽しみにしていた風間杜夫さんは、幼少期の性格はとても内気でしたが、学芸会などでは実にハツラツとした演技を見せていたそうです。
8歳になり、親の勧めから児童劇団「東童」に入団し、すぐにその頭角をあらわしていきました。9歳の時には、映画「江戸の悪太郎」でデビューを果たし、多くの監督の作品に起用されるまでになりました。
「月光仮面」や「大江戸の侠児」といった人気作に出演。確実にスターへの道を上がり続けていきました。
あまりの忙しさに、風間杜夫さんは小学校の時にはほとんど学校へは行けなかったそうです。
ですが、13歳になった風間杜夫さんは、ある先輩俳優から大人の俳優になるなら、子役の仕事からは離れた方がいいと言われ、芸能界と距離を置いていた時期もあったそうです。
1971年には大竹まことさん達と「劇団表現劇場」を結成し、1972年には風間杜夫の芸名で日活ロマンポルノに初出演。
更には、1981年の「日本フィルハーモニー物語」で初主演を務めました。
風間杜夫さんを大きく変えたのは、劇作家で演出家のつかこうへいさんと出会いでした。8年間つか劇団でその腕を磨いた風間杜夫さんは、1982年の映画「蒲田行進曲」でブレイクします。端正なルックスと高い演技力から、様々な役柄を演じてきました。
まとめ
年齢を重ねて、更に輝きを増す風間杜夫さん。その生い立ちには、数々のドラマがあったようです。そして、その陰には常に妻や子供たの存在があったことでしょう。
これからも、風間杜夫さんの名演技を、時代劇や現代劇などあらゆる作品で見かけることでしょう。